[コラム]工藤遥・エースの矜持 ~『続・11人いる!』回顧録②~

2017年6月2日

モーニング娘。‘17(当時・モーニング娘。‘16)のどぅー、こと工藤遥が、卒業を発表した。
「演技」というジャンルに挑戦する。
彼女の報告のコメントには、卒業の理由として、そう綴られていた。

このニュースを、私はとある稽古場で知った。
現場にはちょうど、昨年『続・11人いる!』で共に作品創りに携わっていた演出補の友佳(田村友佳)や、アクション指導のろっぽん(六本木康弘)さんもいて、皆で驚き、と同時に、深い感慨をおぼえた。

『続・11人いる!』稽古中のある出来事を思い出す。

舞台作品を創る時に、演出家はよくそのチームを、サッカーや野球にたとえる。
どぅーは、稽古の序盤から、絶対的司令塔のMFであり、自ら得点を狙える、エースだった。
もちろん、共に主役を演じるだーいし(石田亜佑美)、オダサク(小田さくら)の二人も、
魅力的なタレント性を持つ素晴らしい表現者だ。
その中でも、どぅーは主役の男女をダブルキャストで交互に両役演じる。
ベテランの演者でもおののいて尻込みするような役割を、彼女は初めから毅然と、真摯に担っていた。

稽古の中盤、あることに気づいた。
どぅーが、自ら他のメンバーを引っ張っていこうと懸命に演技で示していこうとして、
半ば心が息切れしている様子が見て取れたのである。
それは、決して他のメンバーが手を抜いているということではない。
どぅーには、あるシーンや作品全体の目指す到達点が、人よりも先に見えてしまっているのだ。
だからこそ、そこに皆で行き着きたいと、全力で芝居をする。
自ずと演技のパスワークは微細に混線し、結果、司令塔自ら、シュートを打ち続けることになる。
本来ならパスワークの連続によって生み出す強い感情を、自分の中で生み出さなければならなくなる。
エースの抱える、孤独である。
どぅーはひとり、演技を通して、皆を懸命に奮い立たせようとしていた。
驚くべきことは、これを、当時まだ16歳だった一人の少女がやっているということだ。
なんという悲壮なまでの覚悟だろう。
意識的にか、無意識的にか、
彼女には、作品が目指す頂が、作品を観に来てくれる観客席の多くの「顔」が、見えている。
そこに応えようとして、巨大な作品、巨大な興行を、自ら引っ張っていこうとしているのだ。
そしてエースは、孤独な戦いのなかにいた。

私は稽古中のとある休憩時間、どぅーを呼んで、ふたつの話をした。
ひとつは、
「女性的な心理を表現することに臆さず、思う存分、女性としての感性を活かして演じて欲しい」
ということ。
そしてもうひとつは、
「一人で作品を背負おうとせず、周りのみんなやスタッフに、もっと頼っていい」
ということ。
作品全体だけではない、「工藤遥」の魅力を、より多くの人に届けるために、少しだけ、肩の力を抜いて欲しい。そして、周りや全体を気遣う気持ちだけでなく、自分も、自分の心も、大切にして欲しい。私は、そう願った。

プロ意識の高いアイドルグループのひとりとして、第一線を駆け抜けてきた彼女は、
一介の演出の言葉に、真摯に耳を傾けてくれた。
以来、どぅーも、共演する若い才能たちも、日増しに変化していった。
演じる彼女たちの間に、見えない絆の糸のようなものが、広がっていくのを感じた。
作品は、皆が芝居を通して手を取り合い、豊かに育まれていった。

両性具有のフロルを演じたどぅーが発した、作品最後の台詞。
「オレさ、お前がそう言うなら…、女になってもいいや」
照れたように顔を上げて呟くどぅーの台詞は、
今思い出しても強く胸を揺さぶられ、感動を禁じ得ない。
女性の心を演じたどぅーの台詞は、もはや「台詞」ではなかった。
ベテラン俳優でも難しい、台詞を「自分の言葉」として言うということ。
その時の彼女の心からのひと言には、間違いなく、美しい「ほんとうの瞬間」があった。

どぅーをはじめとする彼女たちの本業は、あくまで「アイドル」である。
歌とダンスとパフォーマンスで、満員の巨大な客席を沸かせるプロフェッショナルだ。
私が彼女たちと向かい合ったフィールドは、「演劇」。
彼女たちにしてみれば、本来であれば分野外のジャンルである。
プロ野球選手が、サッカー選手として、本格的な公式試合に臨むようなものである。
しかし彼女たちは、決して「競技違いだ!」などと言い訳をしない。
多忙なスケジュールを抱えながらも、言い訳をしない。
私は彼女たちから、多くの影響を受け、多くのことを学んだ。
彼女たちを前にすると、大の大人である自分が、恥じ入ることばかりである。

どぅーが、グループからの卒業を決めた。
彼女の女優としての才能を高く評価している一人だと自負する自分も、
「モーニング娘。」として活動する彼女が見られなくなることには、心が揺れる。
しかし、彼女は自分の頭で考えて、自分で人生の舵を切った。
私は、教師時代から、「自分自身で決めた自分自身の人生を歩むこと」を、肯定してきた。
自分で決めた人生は、多くの責任を自分が負うことになる。
しかし、だからこそ覚悟が深い。
そして、他人が決めた、雰囲気や気分や流れが決めた人生とは違う、深い充実を生きることになる。

先日、『遙かなる時空の中で6 幻燈ロンド』の公演中に、りさ(新垣里沙)に会った。
彼女の夫であるコニ―(小谷嘉一)と一緒に食事をしながら、
りさはその時間のほとんどを、芝居の話をして過ごしていた。
彼女は本当に、演じることを心底愛している、と感じた。
だからだろう。彼女の言葉は何処を切り取っても、生き生きと弾んでいた。

どぅーは今、自分で決めた人生の岐路に立っている。
私は、彼女を心から応援する。

一昨日、期せずして、どぅーをはじめ、モーニングや研修生、演劇女子部のメンバーと会った。
多忙であるはずの彼女たちは、溌溂としていた。
彼女たちは、「子供」ではない。「プロフェッショナリズム」の塊なのだ。

ちょうど今日から、彼女たちの舞台「ファラオの墓」が開幕する。
観客として、舞台に立つ彼女たちの姿を見ることが、楽しみでならない。

そして、メンバーの一員として舞台に立つどぅーの最後の姿を、見届けたいと思っている。
人生の決断をしたエースと、彼女と共に苦楽を共にしてきたメンバーたちが作り上げる一瞬一瞬を、
大切に共有したい。
最前線で戦い続けてきたエースを心から応援し、その新たな道のりに、幸多かれと祈りながら。